十数億人以上の人が生活するインドはいま、慢性的な水不足に悩んでいます。ガンジス川をはじめとして水源には恵まれた国ですが、浄水設備の整備が遅れているためにすべての人が安全できれいな水を利用できていないのが現状です。日本も、こうしたインドの水道インフラの改善のため支援プロジェクトを現地で展開していますが、順調に成果を挙げているとは言い難い実情があるようです。インドにおける水道インフラ崩壊の原因とプロジェクトを阻む問題について探ります。
深刻なインドの水道水事情
インドでは、上水道は1日に数時間程度しか供給されない地域も少なくありません。そのため多くの家庭ではタンクを設けて水を溜めて利用しています。また、場所によっては水道管が破損していたり老朽化しているために汚染されていることもありますし、水を溜めるタンクが汚染されていたりして、蛇口から出る水が安全でないことは珍しくありません。地域によっては、水道管と下水管が併走している場所でどちらの管も破損していることが原因で、下水が水道水に混入しているという異常事態も起きています。さらに、インド都市部住民のおよそ半分近くは、飲料用また入浴用の水として地下水に依存しています。そして汚水処理が十分になされていない地下水を利用している人々は、水質汚染のリスクをダイレクトに受けているのも実情です。
日本も参画した水道整備プロジェクトもとん挫

こうしたインドの水不足、水質汚染問題を改善するために、300㎞東方にあるガンジス川から、世界遺産タージマハルが建つ町・アグラまで水を引き、アグラ市内の水環境の改善を行おうという「アグラ上水道整備事業(Agra Water Supply Project)」計画が、今から約10年前に立ち上がりました。しかしいまだ進展がない状況です。そもそもアグラの水環境は、汚染された水質だけが問題ではなく、水を運ぶ水道網、浄化する技術、水道料金の徴収、さらにそれらを管理する水道行政など、ほぼ水供給システムが崩壊していたからだといわれています。アクセス道路の一部などは建設したものの、新たな浄水場や、ガンジス川から水を運ぶ本体工事はいっさい未着工のままという有様です。その間にも資材費などの高騰が影響して経費がかさみ、予算の組み直しのために再び遅延という悪循環に陥っています。
水道料金の徴収ができず慢性的に財源不足

プロジェクトが遅々として進まない中、周辺地域の住民たちは苦肉の策として、地下に埋まる水道管に無理やり穴を開け、直接取水する方法を日常的に行っているのだとか。そして町内には共同取水場がいくつか作られ、住民たちは限られた水道水の最後をここで分け合っているといいます。これは言うまでもなく、水道料金を払わない非合法行為です。さらに厄介なことにこの行為が水道管の傷みを増幅させ、結局は水供給を滞らせる要因になっているのです。しかし水道局は黙認状態。街の市場に行けば、盗水用の手動ポンプが堂々と売られているそうです。この地域に限らずインドでは水道料金が基本的にタダという地域が多く、水道料金を払う習慣のない人が多くいます。そのため水インフラを整備する財源不足で一向に改善されない状況にあります。
水道インフラ崩壊の理由は利権の奪い合いにあった!?

ここまで水道インフラが崩壊してしまった原因は、やはり状況を現在まで放置し続け、悪化させてきインド水道当局の怠慢と言わざるをえないようです。
住民が勝手にくみ上げる地下水、水道の盗水、さらに料金メーターの未設置などで無収水(料金を払っていない水)の割合が非常に高いのも、料金徴収をはじめとした行政が取り仕切る水道事業の運営そのものが機能していないのが原因です。その点も踏まえ、先に触れたプロジェクトでは、適切な取水や節水、料金支払いに関する住民理解の促進のため、現地NGOと連携して啓蒙活動も行っています。一方で、計画が進むにつれて露呈したのが、地元政治家や役人たちによる利権の奪い合いや横行する汚職。腐敗した政治がクリーンにならない限り、インドの人々が法を犯さずに安全な水を入手する日はまだ先のことになりそうです。
おわりに
インドでは憲法上、水に関する事業は州政府の管轄とされていますが、一方で中央政府は環境保護や都市開発の観点から、水事業の規制に関与しています。このような制度のもと、水に関する権限は国と州、さらに現場で直接事業を行う地方自治体との間で重複し、水利関係の複雑さと不透明さから、水道事業は数あるインフラ事業の中で最も外部から参入しにくい分野だといわれています。しかし、実際に劣悪な水環境の中で健康危機にさらされながら暮らしているのは一般市民です。この崩壊したインドの水道インフラの危機的な状況を救えるのは、利害関係とは無縁の日本をはじめとする海外からの支援ビジネスなのかもしれません。人々の暮らしを左右する水。一日も早くインドの人々が安全な水を享受できる日が来ることを願わずにはいられません。